☆☆☆ メリメリ・ファイ ・・・過ちを犯して初めて知る、知らなかった別の顔・側面への驚き。


 *** 第一話

 リリナクには、ひとりの弟がいた。
 家はお世辞にも裕福とは言い難かったが、それはどこも同じだった。
 彼女は十の年に、祈り乙女として選ばれ、家の為に祈りの塔に行くことを決意した。
 彼女にとって、それは当然のことであり、塔に行くことに対する不満など別段なかった。
 祈り乙女として一年間を神に捧げれば、少女の家はいくらかの援助を国から受け取れる。
 リリナクは最初に祈り乙女として奉仕した後、自ら志願して祈り乙女となることを決めた。
 それは、十の時に感じた静寂の厳しさ、温もりのない神殿生活を、他の幼い少女たちに味あわせるのが可哀想だと思ったからだ。
 ・・・こんなのは寂しすぎる。理由がなくては、とても耐えられない。
 それと、家族が増えたから。
 初めて祈り乙女となった年、リリナクはもう二度と神殿になんか来ない、と思った。大嫌いだった。ただ許せなかった。
 納得して来たリリナクだから、なんとかその感情を抑えられたけれど、強制で連れて来られた少女たちには、ここは辛すぎる・・・そう思わずにはいられないほどの、厳粛な記憶しかなかった。
 リリナクは身売りよりはマシだと志願する少女たちの中、ひとり異質だったのかもしれない。
 はたから見れば、リリナクも他の少女たちと同じ、貧しい家から言われて来た志願者だった。事実、それも理由のひとつではある。
 リリナクは選ばれた十の年から、一年毎に祈り乙女として志願し、その願いが聞き届けられてきた。
 家は、今ではあくせく働かなくとも食べていける程度豊かになった。ただ、祈り乙女として一年毎に家を離れるリリナクに、妹のミリアは慣れなかった。まだ幼いこともあってか、リリナクを家族として認識できないでいる。
 いつも、知らない他人に接するように、怖がって母親の後ろに隠れるばかり。
 ミリアは幸せな少女だった。飢えを知らず、孤独を知らず、祝福されて育った。父と母は年老いて、あまり仕事にも行けず、だからミリアはいつも両親と一緒だった。
 ミリアにとって、それは生まれた時から当然のことで、それが当たり前だった。ミリアにとって、家族とは母と父と兄、そして自分だけだった。
 ミリアは帰って来ては親を占領する『姉』が嫌いだった。
 リリナクは打ち解けてはくれない幼い妹にも懸命に目を掛けてやり、優しく接した。ミリアはただ、頑なにそれを受けるだけだった。
 リリナクは一年毎に祈り乙女として生活する中で、将来は神殿に本巫女として仕えようと思うようになっていぅた。
 本巫女は国の仕事だ。国から保証が出る。今時、巫女を志願する乙女は少なかった。
 みんな成人する前に恋人ができ、すぐにでも嫁いで行ってしまうのだ。一年毎に祈り乙女として生活をしてきたリリナクには、恋人などおらず、ちょうど良いと思った。
 そして、リリナクは家にいる時も、神殿に通うようになった。
 そんなリリナクも今年で十九を数える。最後の祈り乙女としての奉仕も終わり、来年の成人を待って、巫女になるため、王城へ許可願いを得に行くだけとなった。
 リリナクは十の年に、すでに人生が決定していたのかもしれない。顔見知りになった巫女が王城へ行く用事があるというので、それについて行くことになった。初めて足を踏み入れた王城は、かつてないほどに大きく美しかった。
 今まで美しい、と言えば、神殿かその湖しか思い浮かばなかったリリナクには、衝撃であった。
 俗世から隔離されたような神殿。
 それに仕える巫女。
 王城とは俗世であろうか。
 王家とは切っても切れない繋がりを有していた神殿・・・。
 リリナクは、そこで巫女の中でも、位の高い者は、王城へ仕える場合もあることを知った。
 王城と神殿は、決して離れない関係だとも。
 リリナクは、ただ、そのことを世の中の裏面として覚えた。


 ラビッシュには、ひとりの姉がいた。
 姉は清く美しく、純粋な心の持ち主だった。
 祈り乙女というものに選ばれた姉は、いちもにもなくそれを承諾した。姉の考えていることがよく分からなかった。家族と離れることに、何の躊躇もなく、姉は自ら進み出るようにして神殿に向かった。
 それは、ラビッシュが六つの時だった。
 姉は、幼く、でも男の子だから、と泣くのを我慢していた自分に言った。
「来年、帰ってくるからね」
 姉は、いつもと変わらない笑顔だった。
「心配しないで。いい子だから・・・泣いちゃダメよ? 父さんや母さんを困らせないでね、ラビッシュ」
 そっと優しく頭を撫でたかと思えば、姉はもうどこにも居なかった。
 遠い所へ行ったんだと母が教えてくれた。でも、ちゃんと帰ってくるから、とも。
 姉が居ない生活にも慣れて、春が来る前に、母が妊娠していることが分かった。少し嬉しかった。
 姉の変わりに、弟か妹が自分を慰めに来てくれるような気がした。ただ、単純に嬉しかったのだ。
 まだ肌寒い春先になると、姉が春より一足早く、帰ってきた。
 姉に母が妊娠していることを告げると、姉も一緒になって喜んでくれた。
「まあ、そうなの? 赤ちゃんが? ・・・良かったわね、ラビッシュ。これからはお兄さんね。仲良くするのよ?」
 くすぐったそうに笑いを繰り返す姉が、ただ優しかった。
 姉は家を出て行く前と全く変わっていなかった。神殿で神様にお祈りするのだから、もっと怖くなるのかと思っていたが、そんなことは全然なく、ほっとした。
 夜、いつもは同じ時間に寝ていた姉が、遅くまで起きているようになった。
 自分も一緒に起きていようとしたけど、姉にも母にもダメだと言われて、無理やり寝かされた。
 姉は母と何かを話し込んでいた。でも、いったい何を?
 その時は、ただ不思議としか思わなかった。
 姉は時々、何かを思い悩んでいるような、物思いに沈むことが多くなった。
 前みたいに外で一緒に遊んでくれなくなった。
 「またね」が口癖になった。
 それが悲しくて、姉がいるのに、もう「自分だけの」姉はいないような気がした。
 夏が来て、母のお腹がどんどん大きくなっていくのが、楽しみになった。
 「この中に赤ちゃんが入っているのよ」
 優しく微笑む母だけが、安らぎだった。
 秋、冬となり、いよいよ出産が近づいた寒い冬の日。
 姉がまた、どこかへ行くのだということを知った。祈り乙女の日。
「また行ってくるね。でも、ちゃんと帰ってくるから、生まれてくる赤ちゃんに優しくしてね。お兄ちゃん」
 姉は気軽にそんなことを言って、出産前に姿を消した。
 自分に気遣ってか、誰も姉のことを言わなくなった。ただ、生まれてくる新しい家族のことだけ話した。
 そんな冬の、冬にしてはあまり寒くないある日。
 とうとう出産が来た。母は苦しくて、息も絶え絶えに、「産婆を呼んで」と言った。
 皺くちゃの、どれだけ年寄りなんだろうと思うくらいの産婆がひとり来た。産婆は顔は怖かったけど、すごく小さくて、なんか変なの、と不思議に思った。
 それからは父に連れられて、家の外を行ったり来たり。すごく長い時間待って、いきなり赤ん坊の泣き声が響いた。煩く激しく、まさに火の付いたような泣き方だった。
 すっ飛んでいった父の後を追い、家に入ると赤い、小さな赤ちゃんが泣いていた。
 出産は成功だった。母はやつれた中にも満足のいく顔で、「リリナクが祈ってくれたおかげよ」と言った。
 赤ちゃんの顔も皺くちゃで、母が生んだというよりは、この産婆の子供のような気がして、ひどく奇妙な気持ちを味わった。でも、父に「お前の妹だよ」と言われ、ようやく嬉しくなった。
 妹はミリアと名付けられ、元気に育った。ミリアは甘えん坊で、母が大好きだった。
 たまに父が抱くと、怒ったように泣き出した。でも、自分には懐いてくれて、そのおかげでミリアを好きになれた。
 ひどく平和で穏やかな一年が過ぎた。
 そして、姉が帰ってきた。
 姉はミリアを見て、嬉しそうに微笑んだけど、ミリアは怖かったのか、生まれたてのようにずっと泣き続けた。
 結局、ミリアの世話は母と僕がして、父と姉はそれを遠くから眺めていた。
 何故だか、姉が母を気遣う回数が増えた。不思議に思って尋ねたら、姉は母がひどく疲れているように見えるのだと言った。僕はそんなことは全然感じなかったので、姉のただの気のせいだと思った。
 寒さの忍び寄ってくる秋になった。
 いつもは朝早くから起きている母が見当たらなかった。不思議に思い、寝室に行くと、静かに眠る母が居た。
 起こそうと思って近づくと、母は汗をびっしょりとかいて、弱弱しい呼吸を繰り返していた。どきどきと心臓の音が大きく波打った。
「ラビッシュ? ダメよ、こっちにいらっしゃい」
「姉さん・・・? 母さんは? どうして寝ているの・・・?」
 姉の言葉を聞くのが怖くて、尻すぼみになってかすれた声に、姉はただ母を見ながら言った。
「病気なの。母さんはね、少し働き過ぎたみたい・・・。でも大丈夫。きっとよくなるから」
 姉はそこで初めて僕を見て、気遣うように微笑んだ。
 それが、嘘でも僕はその時、確かに慰められた。
「父さんは・・・?」
「父さんはね、仕事に行ったわ。早く母さんに薬を買ってあげる為に・・・偉いでしょ?」
「うん・・・そうだね・・・」
 ほっと肩の力が抜けた。なんだ、薬で治るのか。良かった。母さんは、すぐに治るんだ。
 緊張して、そのまま座り込んでしまったラビッシュに姉は、優しく言った。
「ごめんね、驚かせてしまって。もっと後になって言うつもりだったんだけど・・・ラビッシュは早起きね。それとミリアには内緒にしていてくれる? 驚かせないために・・・ね?」
「うん・・・わかった」
「そう。いい子ね、ラビッシュ。・・・あ、それとここ何日か、学校には行かなくていいわ。お休みして。母さんとミリアを見ていて欲しいの。いいかしら?」
 ラビッシュは男だから、両親が勉強しておいて損はないと、近くの学校に行く時間を作ってくれていた。友達に会えなくなるのは寂しいけど、しょうがないことだ。
「わかった。いいよ」
「ありがとう」
 そこで姉は花開くように笑った。今日見た、初めての安堵だった。


 この日から、いや、母が病気になった日から、全ては始まったのだと思う。
 ゆっくりだった歯車が急速に回転し始め、優しかった陽だまりが少しずつ形を変えて行く・・・。


 父が薬代を稼ぐ為、仕事で家に帰らない日が続いた。
 僕は、今まで味わったことのない不安を味わった。それは確実に恐怖の味をしていた。
 ミリアは僕の言う事を利かず、母に会いたいと駄々をこねた。でも姉がダメだと言った。
「母さんの病気はね・・・もしかしたらうつるかもしれないの。ミリアみたいな小さな子だったら、それこそ危険なことになってしまうかもしれない・・・。ミリアには我慢して貰うしかないのよ、ごめんね。ラビッシュ」
 姉はミリアと二人きりの生活をすることになった僕に向かってそう言った。
 そう、姉はまた祈り乙女になりに神殿へ行くという。最近、姉は一年毎に祈り乙女に行く。
 祈り乙女に行くと、国からいろいろと貰えるのだそうだが、僕はそんなことはどうでも良かった。ただ、こんな状況の中、僕を置いて行くような姉の姿が、なぜか綺麗に見えた。
 そう。姉は綺麗だったのだ。
 そんな場合じゃないのに、わかっているのに、行って欲しくないのに、傍にいて欲しいのに・・・。
 悲しい気持ちの中、何を「わかっている」のか分からないくせに、僕はただ、漠然と「わかってる」、そう思った。
 「行かないで」ただその一言が言えなかった。
 姉は「行ってきます」と言った。姉が行くことは、もう既に姉が決めていたのだ。
 口出しは無意味だった。
 いつまでも懐かなかった妹に、姉はそっと触れて微笑んだ。とても悲しい笑みだった。そして、だからこそ美しい笑み・・・。
 姉が行く日。父は帰らなかった。姉が出て行くと、家は火が消えたように寒く感じられた。
 ミリアは相変わらず、訳もわからずに泣いていた。
 父が帰ってこない。母は寝たきりで、ろくに返事もしない。
 ラビッシュはおかしくなりそうだった。ミリアの代わりにただずっと泣き続けていたい気分だった。




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